毎週土曜日更新を心がけておりますが、遅れる場合もございます

2006年09月02日

1

20世紀もあと10年ほどで終わろうかというその年の春、私は中学生になった。
同じクラスに奇怪な容貌の男を見たあの印象を、私は今でもはっきりと覚えている。

私の入学したその中学校は、四国の片田舎にある小さな公立中学校で、全校生徒は500人足らず、1学年あたり5クラスで、私の学年は140人に満たない程度だったように記憶している。
生徒は近隣の5つの小学校から集められていた。

同じ小学校出身の者から、その男はタラと呼ばれていた。

出席簿を確認したところ、タラなどという名は確認できなかった。
席順からいって、2人いる藤田姓の内のどちらからしいことはわかった。
一方は名を一宏という。
それは、後年マスター・グンジとして勇名を馳せる男の名だ。
とするなら、もう一方がタラの名だったのだが、情けないことに私はそれを覚えていない。
藤田某(なにがし)というその男は、友人からタラと呼ばれており、私もタラと呼ぶようになったため、それ以外の呼称は無意味となった。
後年、深く関わりあいになるものが、クラスに2人もいたのは、無論ただの偶然だ。
運命、などというものを、ニヒリストの私が認めるわけにはいかない。

入学してからしばらく経ち、私もある程度タラと仲良くなった。
ある日、私は思い切って訊ねてみた。
「貴様、なぜタラと呼ばれておるのか?」
その瞬間、休み時間特有の騒がしい教室が、しん、と静まり返った。
こちらを見る者、あえて視線を外す者、小声でなにか囁きあう者・・・。
クラスの意識が、全て自分達に向いていることを感じ取り、私は地雷を踏んだことを悟った。
そのとき、とっさに口を開いたのは、そばにいた一宏だった。
「た、タラコ唇やきんなあ〜」(タラコ唇だからねえ〜)
非常に無理のある言い訳だったが、私はそれで納得することにした。
posted by ニヒリストHILAO at 07:26| Comment(0) | 死国編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月09日

2

中学2年になったある日、友人の一部がバンドを始める、と言い出したので、なんとなく私も混ざることにし、なんとなくドラムを選んだ。
後年、なぜバンドを始めたのか?なぜドラムを選んだのか?と聞かれることがあるが、なんとなく、としか答えようがない。
なんとなく。
それはニヒリストの私にとって、充分すぎる理由だった。
そのバンド仲間に、一宏とタラがいたのは言うまでもない。

バンド仲間ということで、タラや一宏とより親睦を深めた私は、やがて2人の家に、よく遊びに行くことになった。
2人の家は非常に近所で、墓地を隔てて隣接する、という具合だった。

そんなある日、私は一宏の家でガイジンを見た。
紅毛碧眼の小柄な中年の女性は、私を見ると笑顔で軽く会釈をした。
「あれは一体誰か?」
「ああ、ウチのオカン」
そう答えた一宏に視線を向けた私は、軽く動揺していたに違いない。
「俺、ハーフなんじゃわ」
このあたりは外国人や移民が多いことを、一宏は教えてくれた。
私の同級生だけで言っても、例えばビロンと呼ばれる男は、古代バビロニア王朝の傍流に名を列ねるユダヤ系移民で、バビロンがなまってそう呼ばれているのだということ。
ケーポン、ニッケンというのはアジアだか中東だかの移民であること。
そして、タラが南米生まれの日系人で、本名をタラ・ロナルド・ゴメスということなどを聞いた。
一宏がそのようなことを私に話して聞かせたのは、私が真性のニヒリストであり、人の出自にさして頓着しないことを、短い付き合いながらも理解したからだろう。
実際、私はことさらに口止めをされたわけではないが、それらの事実を誰かに話すことはなかった。
ニヒリストである私が、平地に乱を起こすわけにはいかない。
posted by ニヒリストHILAO at 06:11| Comment(0) | 死国編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月16日

3

私は高校生になった。
私とタラは三流の進学校へ、一宏は私たちとはべつの、準一流進学校に入った。
ただし、バンド仲間ということで、一宏との交流が絶えることはなかった。

私とタラは異なるクラスに配属された。
入学してしばらく後、同じフロアのクラスで、私は妙に印象深い男を見た。
中途半端に長い頭髪を持ったその男は、常に酩酊しているような印象を受けた。
気にはなったが、クラスも異なるので、その時はこれといって接触することもなかった。
私がこの男と関わるのは、もう少し先のことだ。

ある日、タラから同じクラスの友人を紹介された。
図子(ずし)なんとかというその男は、ズッサンと呼ばれていた。
彼もまた、バンドをやっているらしかった。
ズッサンは、別の高校に行っている中学時代の同級生に、面白いギタリストがいるので是非紹介したいといっていたが、結局それがかなわぬまま1年が過ぎた。

春休みに、毎年恒例のライヴイベントがある。
卒業ライヴとかなんとか、ベタな名前だったが、そこに、先述したズッサンの知り合いのギタリストが出るというので、見に行った。
とにかくカッティング(ギターテクニックの1つ)の下手なギタリストだった。
その時初めて、俺は阿守という男を見た。
ただ、その時は特に会話をすることもなかったように思う。

高2の夏ごろに、私は自分のバンドで使うためにMTRという機材を買った。
金はみんなで出し合ったように記憶している。
MTRとはマルチ・トラック・レコーダーの略称で、バンド録音機とでも言えばいいのだろうか。
とにかくバンドの音を録音するのに便利な機械だという認識があれば、それで問題ない。

ちなみに私はこのころ、タラのいるバンドと一宏のいるバンドを掛け持っていたと思う。
というのも、ドラマーというのは人口比率が他の楽器に比べて極端に少ないので、結構なオファーがあり、自分でもそのころどのような活動をしていたのか判然としない。
また、タラが一体なんの楽器をやっていたのか、気になる方もおられるとは思うが、タラからは「出来れば秘密にしてくれ」といわれているので、明かさないでおくことにする。
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2006年09月24日

4

MTRは、タラのいた方のバンドで買った。
そのMTRをズッサンが貸してくれ、といってきた。
阿守とやっているバンドで使うのだという。
自分たちの機材をどこの誰がどう使おうと、ニヒリストの私にはどうでもいいことなので、貸すことに問題はなかった。

しばらく後、MTRは、一本のテープとともに私の手元に戻ってきた。
もちろん、私はそのテープを聴いた。
「なぜこのドラムを俺が叩いていないのか!?」
テープを聴いた私は、強烈にそう感じた。
それからというもの、私の興味は阿守に傾いていった。

そんなある日、バンド仲間が集まって宴会を開くことになった。
私の家の近所にある神社に、おあつらえ向きのスペースがあったので、そこに集まって飲むことにした。
夜の神社で宴会などというのは、なにやら妖怪じみていて、愉快だった。
その時、ようやく俺は阿守と交流を持つようになった。

「君たち」
穏やかなその声のほうに振り返ると、阿守がいた。
「僕にコーラをかけてくれないか」
妙に落ち着いた口調でそういわれた私たちは、少々戸惑った。
だが、阿守の目を見るに、その焦点が合っておらず、体も微妙にゆらゆらと揺れているので、どうやら酔っているらしいことがわかった。
無論、私たちも酔っていた。
ではどうなるか。
みんな面白がって阿守にコーラやら何やらジュースをかけ始めた。
阿守自身も、自らコーラをかぶった。
それから皆で気持ちよく時間を過ごした。
明け方近くになって、阿守がガタガタ震えだした。
「寒い…。髪がベタベタする…。なんで…?」
半死半生の体で阿守がフラフラと帰途に着いたので、その場はお開きとなった。
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2006年09月30日

5

それからしばらくして阿守は私の家に遊びにくるようになった。
遊びにくるというのはいいわけで、私に金をせびりにくるのだった。
「平尾くん、ちょっと都合してくれないか。悪い友人にひっかかってしまってねぇ」
などといいつつ、その日も私の手から金を受け取り、照れた笑を浮かべていたが、不意に真顔になって私に言った。
「平尾くん、僕と一緒にバンドをやろう。なにかおもしろい、バンドをやろう。誰も知らないような音楽をやっていれば、嫌なことなんかすぐに忘れてしまえるだろう。のんびりやろう。あまり金にはならないかもしれないが、音楽で生きる、ということは、そういうことなんだなあ」
ニヒリストの私に、それを断る理由はなかった。

阿守とのバンドのことを書く前に、私はあの男との出会いを書かねばなるまい。

高2の秋。
修学旅行の季節だ。
私はその修学旅行を前に、友人の家で前夜祭らしきことをするというので、そこに行った。
その友人もバンドをやっていたので、自然とバンドマンの比率が高かった。
ズッサンもいたし、高校は違えど阿守もいたのは、その友人が阿守と同じ中学だったらだ。

その友人宅で、1人ギターを弾いている男がいた。
その男は、2台のラジカセを手元に置き、オーケストラの総譜とにらみ合いながら、ギターを弾いていた。
「なにをしているのだい?」
そう声をかけたのは阿守だった。
どうやら阿守と知り合いらしかった。
そう問われて、その男は中途半端に長い頭髪を無造作にかきあげ、酔眼をこちらに向けた。
昨年の春、高校の同じフロアで見かけたあの男だった。
「『新世界より』をギターでどんだけ重ねれるか試っしょんじゃが」(『新世界より』をギターでどれだけ重ねられるか試しているのだよ)
そう答えると、男は再び視線を総譜に戻し、ギターを弾き始めた。
2台のラジカセを擬似MTRにし、ギターを延々重ねているらしい。
これが真鍋だった。

参考文献:いくじなし/大槻ケンヂ(筋肉少女帯)
posted by ニヒリストHILAO at 16:21| Comment(0) | 死国編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月07日

6

『ドラゴン探偵団』
阿守と立ち上げたバンドの名だ。
メタルバンドだった。
メンバーには、阿守、タラ、一宏がいたが、真鍋は別のバンドで活動していた。

当時、手数足数において私の上を行くものは、少なくとも四国にはいなかったのではないか。
テリー・ボジオやディーン・カストロノヴォに憧れていた当時の私は、いかに多くの音符を詰め込められるかということにしか興味がなく、凄いか凄くないかと問われればそれなりに凄かったのだろうが、上手いか下手かと問われれば下手だった。
バンドにしても同じようなもので、イングヴェイやヴァイをコピーしていたような連中が集まったバンドだったので、それはえげつないバンドだった。

何度かに及ぶライヴやコンテストを経て、ドラゴン探偵団は、良くも悪くも評判を上げていった。


さて、ドラゴン探偵団が出来る前に、それまでのバンドがどうなったのかを少し書いておく。
私とタラがいたバンドは、ヴォーカリストが大学受験のため活動を停止することになった。
そして阿守のバンドだが、こちらは悲しい事情で解散してしまった。
(三国志というゲームのことを知らない方は、この件(くだり)を読み飛ばしていただいてかまわない)

ある日、阿守が図っさんを含むバンドメンバーと三国志をやっていた。
ゲーム中、メンバーの一人が頑張って忠誠を下げていた郭嘉を、阿守が横から掠め取ってしまった。
そのことに激怒したメンバーは
「お前とはもうやっとれん!!」
といって、バンドを辞めてしまった。
また、孫堅で始めていた図っさんは、片っ端から部下を殺され、或いは引き抜かれて、気がつくと文聘を君主に部下は曹彪一人、という状況に陥ってしまった。
世を儚んだズッサンは
「俺、大学受けるわ」
といって、バンドを辞めてしまった。

そんな経緯で一人残された阿守が、ウチのバンドに泣きついてきたのだった。
posted by ニヒリストHILAO at 08:33| Comment(0) | 死国編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月14日

7

この時期の私の家は、ドラゴン探偵団をはじめ、近所のバンド小僧のたまり場になっていた。
私の中に住まうニヒリズムはどうやら親から受け継いだものらしく、我が家にろくでもない人間が入り浸っていることに、両親はあまり頓着していようだった。
一宏などは、数週間ほど家に帰らずウチに入り浸っていることがザラだったし、私が学校やバイトでいない間も、誰かが勝手にあがりこんで、ゲームをしたり、ビデオを観たりしている、という有様だった。

そんなある日、私は阿守の素性を知ることになる。
確か、一宏やタラが、移民だのハーフだのという話になったときだったと思う。
阿守が、自分は『ロマ』だと言い出した。
しかし、ロマなどという単語は聞いたことがなかったので、それは何かと問うてみると、ジプシーのことだという。
ただ、ジプシーというのは差別用語になるらしく、ロマといったほうがいい、と阿守は教えてくれた。

阿守家はもともとヨーロッパの、特にラテン系の土地をメインに放浪していた一族だという。
阿守=AMORIとうのは、元来イタリアの姓であるらしく、イタリアではそこそこ由緒のある家柄だったAMORI家から、何らかの事情でAMORI姓を下賜されたらしい。
AMORI本家は近代に入ってファッションブランドを立ち上げた。
大戦時のこと、阿守の先祖とAMORI本家の庶子数名は、同盟国である日本に移住した。
両家の者は四国の片田舎に定住することになりAMORIに阿守という字を当てた。
当主の方はこちらでもそこそこ大きな服飾店を経営していたが、20世紀末のバブル崩壊のあおりを受けて倒産してしまった。
今では彼らの方がロマになってしまい、人知れず放浪しているらしい。

もしやズッサンも移民なのでは?
本人に問うてみると、やはりそうだ、という。
もともとはアラビアあたりの民族らしい。
「ズッサンとはまた奇妙な苗字だね」
というと
「ハッサンみたいなもんだよ」
と、ズッサンは応えた。
なるほど、そういえばアラビアンナイトにそんな名前の登場人物がいたような気がする。

江戸時代、ズッサンの先祖は取引先であるオランダの商船に乗って日本を訪れ、そのまま庶民として定住してしまった。
そして明治時代、庶民が姓を名乗ることを許され、人々は寺に行って、住職から姓をもらった。
その際、ズッサンの先祖は
「自分には既に姓がある。ズッサンという」
と申し出たのだが、それを聞いた住職は
「ずっさん?ああ、図子(ずし)さんな」
と勘違いしてしまい、以来ズッサン家は図子姓を名乗ることになったという。
posted by ニヒリストHILAO at 07:47| Comment(0) | 死国編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月21日

8

高校卒業が近づいてきた。
私は高校卒業後、大学には進学せず、大阪の音楽学校へ進むつもりだった。
四国の人間が都会へ出るときは、大阪を選ぶ場合が多い。
近いから、というのが、その要因の大多数をしめるはずだ。
かく言う私もそうだった。
進学の件を両親に話したが、前述したとおり、私の両親はニヒリストなので、大して反対もされなかった。
数日後には
「学費振り込んどいたぞ」
という返事が返ってきた。

他のメンバーも共に大阪に行くものと私は思っていた。
実際、夏にはいろんな学校の体験入学に参加したし、秋ごろには大体何処に行くかの目星はつけていた。

年も改まり、いよいよ卒業が近づいてきた頃、一宏がとんでもないことを言い出した。
「イギリス行くわ」

話は少し遡る。
あるコンテスト形式のライヴでのこと。
自信満々で挑んだそのライヴは、だが、何の賞にもひっかからないという散々な結果に終わった。
その結果に納得のいかなかった一宏は、会場近くにあった電話ボックスを蹴り壊してしまった。
だが、そのことで己の未熟さを痛感した一宏は、自分を鍛えなおすため、自衛隊に入ろうと決心したのだった。
そのことを両親に話すと
「お前にはイギリス国籍がある。どうせなら世界で最も過酷な部隊、SASを目指してはどうか。ついでに母さんの故郷がどんなところかも見てきなさい」
といわれ、渡英を決心したのだった。

後年、彼がSAS=英国陸軍特殊空挺部隊でマスターにまで上り詰めたことは、読者諸君もご存知のこととは思うが、それはまた別の話だ。



作者渡英のため次週は休載させていただきます。
posted by ニヒリストHILAO at 15:09| Comment(0) | 死国編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月06日

9

「トム・クルーズのカクテルという映画を知っているかい?」
ある日のこと、阿守がふと話し始めた。
「ボクはね、バーテンダーになるのが夢なんだよ」
ならバンドはどうするのか?という私の心情を無視するかのように、阿守はしゃべり続けた。
「宇多津にね、新しくバーが出来るらしいんだが、そこが従業員を募集していたんだ」
そう言って阿守はバイト情報誌を開いて私に見せた
「実は既に面接を受けていて、昨日、採用の連絡があった」
その募集広告をみると、必須資格に『英会話』とあった。
「他の従業員が外国人ばかりらしくてね」
「貴様、英語に通じていたか?」
「いや、全く。まあ、なんとかなるだろう」
「しかし、だとしたら貴様、この田舎に留まるのか?ロマのクセに」
「そういうことになるねえ。まあ、もともとボクは高校中退だから、専門学校には行けないしね」
「俺の行く学校は、学歴不問だがね」
「それでも学校なんてところは性に合わないよ」
「まあ、それはそうかも知れんが・・・・・・。しかし、一宏といい貴様といい、大阪が少し寂しくなりそうだな」
「ズッサンが大阪の大学に合格したようだし、タラと真鍋も大阪に行くじゃないか」
「真鍋は親の写真館を継ぐために写真の専門学校に行くのだろう?ズッサンは大学生だし。結局音楽家を志して田舎を離れるのは俺とタラだけではないか」
「なんだなんだ、君こそさっきからニヒリストらしからぬ発言が続いているじゃないか」
「それは・・・・・・そうかも知れんが・・・・・・」
「まあ、お互い頑張ろうじゃないか」

そういうわけで、ドラゴン探偵団は解散した。
posted by ニヒリストHILAO at 08:25| Comment(2) | 死国編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月11日

10

その日はめずらしく誰も家に来ず、私は家で1人映画をみていた。
この時期、近所にレンタルビデオ店がオープンし、100円という破格でビデオを貸し出していたため、それまでほとんど映画を見たことのなかった私は、ここぞとばかりにビデオを借り漁っていた。
月に20〜30本ほど映画を見ていた私は、にわか映画通になっていた。

タラが来た。
しばらくは2人でどうでもいいような映画をみながらどうでもいいような話をしていたが、ふと、タラが神妙な顔つきになった。
「実はな・・・」
私はなんとなく嫌な予感を抱いていた。
「俺、自分のルーツ探るために、高校卒業したら南米に行こう思うとるんよ」
・・・ブルータス、お前もか。

いい加減うんざりしていた。
もし私の中にニヒリズムなるものが存在しなければ
「なんだ貴様ら!一緒に音楽家を目指すんじゃなかったのか!?」
などと暑苦しいことをわめき散らしていたかもしれないが、そんなことは私の中のニヒリズムが許さなかった。
といって、次々に湧き起こる友人達の突飛な行動を容易に看過できるほどに、私はニヒリストとして成熟しきれてはいないらしかった。
かわいそうだが、タラは私の中途半端なニヒリズムの犠牲になるのだった。

「南米というからにはメキシコか」
「いや、多分ブラジルかアルゼンチンかそのへん」
「馬鹿が。南米といえばメキシコだろうが。ブラジルやアルゼンチンが南米なわけあるか」
「え?ブラジルとかアルゼンチンとか、あのへん一帯が南米なんちゃうん?」
「なら訊くが、北米といえばなんだ?」
「・・・アメリカ?」
「だろう?一国に対応するのは一国だろうが。北米がアメリカなら南米はメキシコだ」
「ああ、そっか・・・・・・。じゃあブラジルは?」
「南豪だな。ちなみにアルゼンチンは北豪。西豪はチリで東豪は・・・なんだったかな。忘れた。とにかくあのへん一帯は豪州だから、豪州行きの飛行機を手配するといい」

もちろん嘘っぱちだ。
北米といえばカナダを含む場合もあるし、メキシコは中米、もちろんブラジルやアルゼンチンは南米だ。さらにいえば、ブラジルとアルゼンチンの位置関係も逆になっている。
私は元来、地理に疎い。
「ああ、あと、豪州は英語が通じないから、気をつけろよ。ポルトガル語でも勉強しておけ」

結局、音楽家を目指して故郷を離れるのは私1人となった。
posted by ニヒリストHILAO at 17:01| Comment(2) | 死国編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月18日

11

私は結局、1人で大阪の音楽学校に入校した。
学費を支払っていたので、行かないわけにはいかなかった。
当時、私の通っていた学校のクラフト科に、ある講師がいた。
後年、その講師と私は出会うことになるのだが、それはまだ先の話だ。

1年間はまじめに通ったが、結局2年目はほとんど通わなかった。
今にして思えばこの1年間の学校生活は、私にとって大きな財産になっているが、当時の私は音楽家になるということを半ばあきらめていたので、無為に時間を過ごしているという感覚が強かった。
皆が皆、それぞれの道を歩み始めたというのに、自分ひとり音楽の道に固執するのもアホらしいではないか。

それなら私にだってなりたいものがある。
仙人だ。
崑崙のどこかにある仙境で、のんびり暮らす。
老いや死を超越し、千年単位で世界を眺めて暮らす。
なんと幸福なことか。
私はその夢想を現実のものとするために、2年目はろくに学校にも行かず、バイトに明け暮れたのだった。

そんなある日、ズッサンから阿守の店が潰れたと聞いた。
客の外国人と、地元のヤクザが乱闘騒ぎを起こしてしまい、それが元で潰れたのだという。
それ以降、阿守は行方不明だという。

そんなことはどうでもよかった。
金を貯めて中国に渡り、仙境を目指して崑崙に入る。
そのことで、私の頭は一杯だった。


結局、1年かけて渡航費を貯めた。
誰にも別れを告げることなく、下界を離れるため私は空港を訪れた。

―死国編 終―
posted by ニヒリストHILAO at 10:34| Comment(0) | 死国編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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