毎週土曜日更新を心がけておりますが、遅れる場合もございます

2007年01月26日

25

出発当日。
部屋に並べられた自分の荷物の多さに唖然とした。
着替え等の生活用品が入った馬鹿でかい軍用のバックパック、頻繁に使いそうな小物が入った普通サイズのバッグ、スネアドラムとツインペダルが余裕で入る機材用バッグに詰め込まれた機材類、そしてそれを運ぶためのカート。
ちなみに持っていく機材は、先述したエレクトリックドラムパッドとそれを乗せるためのスネアスタンド、ドラム椅子、フットペダル、スティック類、10インチのスプラッシュシンバルとその為のシンバルホルダー。
機材だけでもうんざりする量なのに、それに結構な量の生活用品が加わる。
正直に言って全く旅慣れていない私は、どうやら無駄に多く荷物を持っていたらしい。
後日知り合った戦場ジャーナリストにこの時の荷物の量を話すと、「無謀」の一言で片付けられてしまった。

最寄り駅まではなんとかカートで機材を運べたのだが、この時期まだその駅にエレベーターはなく、荷物を担いで階段を降り、電車に乗る頃には既にへとへとになってしまっていた。
これだけの荷物を抱えて、本当に2ヶ月もヨーロッパを周遊出切るのか、本当に不安になりつつも空港に到着。
この時点でメンバー全員が悄然としていたのでどうやら状況は皆、私と変わらないらしい。

実はこの時期、阿守は禁煙していた。
東京に行ったあたりからだったろうか。

私たちはなんとかチェックインを済ませ、ゲートへ。
ただ、ゲートへ向かうまでの空間には免税店が並んでおり、旅行客の購買意欲を早くも刺激する。
さて、それら免税店には煙草が安く売られており、2カートンでおまけがついてくることが多い。
そのおまけの中に、車輪つきバッグというのがあった。
ギターがすっぽり入る大きさだったので、阿守は煙草を2カートン購入した。
「別に煙草なんかどうでもいいんだよ。僕が欲しいのはこのバッグだったんだから」
そういいながら、ギターをカバンに入れる。
「こりゃあいいや!」
といいながら、ギターの入ったカバンを嬉しそうに転がしながら、阿守は空港内を走り回る。

その様子を、メンバー一同は冷ややかな目で眺めていた。
そう、私たちは知っていたのだ、阿守の禁煙が終わったことを。
ただ1人、阿守だけがそのことを知らなかった。

一行を乗せた飛行機は無事出発し、バンコクに到着した時、現地は夜だった。
そこは異様に蒸し暑い世界だった。



参考文献:風よ、万里を翔けよ/田中芳樹
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2007年01月27日

26

バンコクには着いたものの、元々ここに用はない。
タイ航空を使ったため仕方なく降りただけのことだったが、折角なので観光をしようということになった。
聞けば『リクライニング・ブッダ』というヤツは、見れば人生観が変わるほど素晴らしいものだという。
ホテル付きのガイドに車を出してもらい、そこへ行ってはみたが、感想としては
「ああ、スト2でサガットのステージの背景に出てくるヤツね」
という程度のもので、私の人生観には何ら影響を与えなかった。
帰ろうとすると、ガイドから「駐禁きられたから金払ってくれ」といわれたので、そばにいた警官に渋々金を払う。
そのすぐ後、車の陰で警官がガイドに金を渡している光景を見てしまい、この国が心底嫌になった。

「チャオプラヤ河を見たい。チャオプラヤ河に連れて行ってくれないか」
と阿守がガイドに言うと
「オーケーオーケー。俺に全部任せておけ」
と言われたが、着いたところは伊勢丹だった。
「ここからホテルまで歩いて10分ぐらいだから、適当に買い物して帰っておいで」
といって、ガイドは車ごとどこかへ行ってしまった。

仕方がないので伊勢丹をぶらぶらしていると、アマチュアバンドのライヴが行われていた。
そこでもの凄く下手なクランベリーズを聴かされてうんざりし、腹が減ったのでイタリアンレストランでピザを食った。
味はそこそこだった。
私たちがタイで食った料理といえばこれぐらいのもので、タイ料理は一切口にしなかった。
その事を後年知り合ったタイ料理好きのタッキーに話したところ
「自分らアホやろ」
の一言で済まされてしまった。

ホテルの近くにいつの間にか露店が建ち並んでおり、地獄のような人ごみだった。
そこをなんとか切り抜けてホテルに戻ると、阿守の持っていた扇子が派手に壊れていた。

「火をかしてくれないか?」
疲れきった表情で阿守がメンバーの1人に声を掛けた。
ライターを手にした阿守は、カバンの中から空港で買った煙草を取り出した。
「もう、うんざりだよ・・・・」
阿守の禁煙が終わった。
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2007年02月03日

27

ホテルにチェックインした時、いくつかのチラシをもらっていた。
その中にはクーポン券のようなものがいくつか混じっており、その1つを持って阿守が私のところに来た。
それによると、スカイラウンジにバーがあり、そこで何かをしてもらえるらしかったが、英語に疎い私たちが理解できたのは『フレンドリー・ウェイトレス』という単語ぐらいだった。
「フレンドリー・ウェイトレスというのは、どうもいやらしい響きだねえ」
「うむ、確かに」
「一体何をしてくれるんだろうねえ?」
「そりゃあ、フレンドリー・ウェイトレスなどと称するからには、乳で頬をしばいてくれるぐらいのことはしてくれるのと違うか?」
「乳で頬を!?」
「それぐらいのことをしてくれなければ、フレンドリー・ウェイトレスとは言えまいよ」
「よし!すぐ行こう!!」

喜び勇んでたどり着いたスカイラウンジには、だが、普通のバーしかなかった。
メンバーがクーポン券を見せると、一行は席に案内された。
しばらくすると、フルーツを盛り合わせたカクテルが運ばれてきた。
「頼んでない」
というと
「サービスです」
といわれた。
とりあえず飲んでみた。
「ないだいこれ!?物凄くおいしいじゃないか!!」
本当に美味かった。
どうやらあのクーポン券は、このカクテルのサービス拳だったようだ。

そのバーではおっさんのピアノに合わせておばちゃんがしっとりとした雰囲気の歌を歌っていた。
試しに私たちも演奏出来ないものかと、従業員にマネージャーを紹介してもらい、掛け合ってみたが
「契約したミュージシャンじゃないとダメなんだ。ゴメンね」
と、やんわり断られてしまった。
「まあ、残念な結果に終わったけど、挑戦することに意義があるんだよ」
とは阿守の言だったが、まさにその通りだと私も、そして他のメンバーも思った。

乳で頬をしばかれはしなかったものの、美味いカクテルで気分の良くなった一行は、翌朝バンコクを後にした。
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2007年02月10日

28

ロンドンはヒースロー空港へ到着。
バンコクでは、空港-ホテル間の移動にタクシーを使っていたが、物価と通貨価値の高いここイギリスでそんな怖ろしい真似は出来ない。
そんなわけで、一行は地下鉄で宿泊先まで移動することにした。

その宿泊先が、遠い。
ロザハイゼというロンドン郊外の街で、大阪の人だけにわかるように説明すると、梅田から喜連瓜破ぐらいの距離がある。
幾度かの乗換を経てロザハイゼ駅にたどり着いた時、一行は相当疲労していた。
あまりの荷物の多さに、乗換だけで相当の労力を使うのだ。
さらに
「どこが紳士の国じゃゴルァ!!」
と叫びたくなるほどに、この国の公共交通機関の造りは不親切だった。
階段が多く、長い割に、エレベーターやエスカレーターはおろか、スロープすら設置されていないところがほとんどだった。
これでは人類最大の発明の1つでもある車輪が何ら功を奏さない。

車椅子の人は一体これらの機関をどのように利用するのだろうか?
などと考えつつ、不平をぶつぶつ口にしながら重たい荷物をカートごと担ぎ上げて、妙に長い階段を上る。
やっと地上に出たかと思いきや、おしゃれなレンガ造りの歩道のせいでカートが安定せず、両手でカートを必死で制御しつつ後ろ向きに歩くという無様な格好で数分歩いた後、やっとのことでロザハイゼ・ユースホステルに到着した。

大きい荷物を荷物室に預け、手荷物だけを持った一行が案内された部屋は8人仕様の雑居房。
縦横交互に組まれた、間の狭い三段ベッドが2つに二段ベッドが1つという無謀な造りに圧倒されつつも、とにかく休めることに安堵。
ちなみにこの三段ベッドの造りをもう少し詳しく説明すると、普通の二段ベッドの一段目と二段目の間に無理やりもう一段を縦に突っ込んだ感じの、無謀でありつつも合理的な構造。

先客の欧米人数人がパンツ一丁でベッドにごろごろしていたので、適当に挨拶を済ませて荷物をまとめる。
そういえば駅からホステルに来る途中、上半身裸で散歩したり自転車に乗っている人間を幾人か見かけたので、こちらの人は裸でいるのが好きなのだろうか?
欧米人の習慣はよくわからないが、彼らに影響を受け、粋がってパンツ一丁で寝た阿守が軽く風邪をひいてしまった、とだけ書いておこう。
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2007年02月17日

29

こういうホステルには大抵朝食が付いている。
といっても、もちろんホテルのルームサービスのような優雅なものではない。
指定された時間まで開放されている食堂へ行き、自分で勝手によそって食べる。
メニューも大抵は似たり寄ったりで、主食は食パンとシリアル、あとマッシュポテト。
おかずにはソーセージ、ハム、ベーコン、スクランブルエッグ等、オーソドックスな朝食メニューが並ぶ。
ヨーグルトなどのデザートや、紅茶、コーヒー、ミルク、ミネラルウォーターなどの飲み物のほかに、調味料類やマーガリン、ジャムなども用意されている。

イギリスといえばメシが不味いので有名な国だが、さすがにこれら朝食メニューは不味くしようがあるまい、と思っており、実際たいした不満もなく食事は進んでいった。
ところが
「うわぁ、なんだこりゃぁ」
阿守が突然変な声をあげた。
「・・・ボンドだ。ボンドの味がする」
「まあ、ここはイギリスだからなあ・・・。しかし、貴様にカニバリズムの気があるとは知らなんだ」
「はぁ?」
「で、どうだ、かのスパイ殿のお味は?」
「うわっ、しょーもなっ!ボンドといえば接着剤の方に決まってるじゃないか」
「そりゃなおさら驚きだ。接着剤なんぞ食うて喉が詰まったらえらいことではないか」
「接着剤なんか食べたことあるわけないだろ!!」
「ほう・・・それは不思議な話だ。貴様、食うたこともないものの味をなぜ知っておる?」
「ごちゃごちゃ御託を並べてないで、コレ食べなよ!」
と阿守が勧めてきたのは、デザート用に取っていた薄い紫色のヨーグルトだった。
見た目にはブルーベリーかなにかその辺りの風味を連想させるものだったが、口に運んで絶句した。
「・・・ボンド?」
確かにそれはボンドの味がした。
「そら見ろ!!」
口の中に広がったのは、何やらケミカルな味だった。
接着剤か何かを口に含んだような風味が口いっぱいに広がる。
もちろん私は接着剤など口に入れたことはないが、ボンド味としか表現しようのない味だった。

「こりゃ噂以上だね」
阿守が軽くため息をつく。
私たちは早速イギリスで味の洗礼を受けたのだった。
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2007年02月26日

30

営業に行く。
わざわざヨーロッパに来たのだから、手当たり次第プロモーションをかけようということになった。
そこで、レコード会社やレコード店を廻ることにした。
まず訪れたのが、U2やクランベリーズ(→ユニバーサルに移籍)が所属しているアイランドレコードがどうやらロンドンの郊外にあるらしいので訪れてみる。
電話をしてみたところ「音源を受け取るぐらいのことは出来るのでいつでも持ってきて良い」と一応アポは取れた。
その街は『閑静な住宅街』というのを絵に描いたような所で、電話帳の住所を元にたどり着いた会社は、豪邸とまではいかないがそれなりに所得の有りそうなそこそこ裕福な家族が住んでいそうな邸宅を思わせる外観で、とてもレコード会社の建物には見えなかったが、一応『Island Records』の表札が出ていたので入る。
簡素で小奇麗なロビーに鎮座していた受付嬢にサンプルCDとプロフィールを渡して帰った。
これといった達成感はナシ。

次に訪れたのはロンドンの中心街『ピカデリーサーカス』に有るレコード店。
それがタワレコだったかHMVだったか、或いはヴァージンだったかは忘れてしまったが、日本でも見かけたことのある大手外資系のレコード店だったことはたしかだ。
そこでバイヤーを呼び、「無料配布でもなんでもいいからこのCDを置いてくれ」と頼んだが、丁重に断られた。
ただし
「そこの角を右に曲がって少し行くとレディオ・ワンというラジオ局があるから、そこに持っていってみたらどうだい?」
と助言してくれ、さらに知り合いだか誰だか局員の名前を教えてくれたたので、その意見に従って『レディオ・ワン』とやらいうラジオ局に向かう。
おそらく地方FM かなにかだろうと思いつつレディオ・ワンを目指す。
「これじゃないか?」
とメンバーの1人道路沿いの壁を指す。
その壁には確かに『RADIO 1』と描かれていた。
だが、私たちの視線はは、その上に大きく描かれた3文字のアルファベットに注がれた。
即ち

B B C

そこはあのBBCの持つラジオ局らしかった。
びわ湖放送も同じくBBCと略されるそうだが、日本のローカル放送局がまさかロンドンの中心街に支局を持っているとは思われないので、おそらくここは英国放送協会のBBCで間違いなさそうだった。

一行は3文字のアルファベットに少なからぬ畏れを抱きつつもロビーに入る。
受付で、先ほどレコード店で教えられた人名を告げ、会えるかどうかを確認。
残念ながら不在だったので、サンプルCDとプロフィールを渡し、逃げるようにレディオ・ワンを後にした。

「いやあ、BBCとは恐れ入ったね。知らなかったとはいえ、いきなりとんでもない所に乗り込んでしまったもんだ。まあ、僕らなんか相手にされないだろうねえ」
「まったくだ。匹夫の勇とはまさにこのことだな。分不相応なことこの上ない」
「何かの間違い僕らの音楽が流れるようなことはないかな?」
「天地がひっくり返ってもあり得んな」
しかし数年後、自分達の曲、即ちSIBERIAN-NEWSPAPERの『柵から逃げ出し亡命する軍馬のはなし』がこのBBC Radio1から全欧に向けて放送されるのだから人生とはわからないものだ。
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2007年03月03日

31

「ビッグベンに行ってきたよ!いやぁ、すごかったよ〜。君も是非行きたまえよ」
ホステルの部屋でごろごろしている私に、観光から帰ってきた阿守がしきりに私をビッグベンに誘おうとしたのは営業に行く前日の夕方だった。
バンコクのリクライニングブッダでなんの感銘も受けなかった私は、自分自身に対して半ば諦めのような感情を抱いていた。
自分は絶景名所の類で感動することがおそらくあるまい、とそう思っていたのだ。
だから私は阿守の言葉を右から左に聞き流し、相変わらず部屋でごろごろしていたのだった。

翌日、営業に行った帰り道のことだった。
来た時とは違う駅で阿守が乗り換えようとするので、私は間違っているのではないかと提言した。
「なに、こっちの方が、乗換が少なくて済むんだよ。地下鉄のことは僕に任せておきたまえ」
確かに阿守はロンドンに着いて以降、何度か出歩いており、地下鉄の乗り換えに関しては私より多くの知識を有していた。
私に限らず一行は地下鉄の乗換を阿守に任せていたので黙って阿守についていった。
しかし、乗換の途中で地上に出ようとしたのにはさすがに疑問を感じたが
「ここは一度地上に出たほうが早いのさ」
というので黙って階段を上った。
そして上りきったところに、巨大な建物が現れた。

ビッグベンだった。

私はその威容に、心を奪われてしまった。
どうやら阿守に一杯食わされたらしいが、そんなことを忘れて、私は「でかい」だの「すごい」だのと連呼する馬鹿な観光客になってしまったのだった。
なるほど、私はこういう建物が好きだったのか。

阿守は近くで開催されていた『サルバドール・ダリ展』に行くとのことだったが、絵画にさして興味のない私は、ここでビッグベンを眺めている方がよほど有意義だと感じたので、同じく絵画よりもビッグベンに興味を抱くメンバーの1人とその場に残ることにした。
とはいえ、ただ建物を眺めているのはやはりヒマなもので、5分ほどでただ見ることに飽きてしまった。
とはいえビッグベンに対する興味が失われたわけではなく、新たな感情がわきあがってきたのだった。
「あの中に入れんものかな」

思い立ったが吉日とばかりに、私たちはビッグベンに向かって歩を進めた。
まず車が入っていくところに行き、警備員に「入れないものか」と話をもちかけると「向こうへ回れ」といわれる。
指示されたところへ行き「入りたいのだが」と告げると「どうぞ」と中に通された。
どうやら入れるらしい。
入るや否や、ボディチェックと荷物検査が行われる。
空港並みの厳重なチェックを抜け、中へ。
中から見るビッグベンもまた格別なものだった。
いくつかの通路や階段を通ると、再びボディチェックと荷物検査を行われる。
「一体なんなのかな?」
などと話していると、ボディチェックを担当していた穏やかな雰囲気を持つ老紳士に「静かに」とこれまた穏やかに注意された。
何事かわからぬまま奥へ進むと、そこはどうやら議会を傍聴できる場所のようだった。
何の議会かは分からないが、あまり遅く帰ると『ダリ展』から戻った阿守たちが心配する恐れがあるので、出来ればもっと長く居たかったが、早々に退散した。
帰り際、例の老紳士に「おや、もう帰るのかい?」と言われたので、私たちはあまり時間のないことを告げた。
「そうかい。まあ、また来なさいよ」と穏やかに送り出され、私たちはビッグベンを後にした。

既に『ダリ展』を出ていた阿守たちと合流。
「いや〜、ダリ展良かったよ〜。ところで君たちはどこに行っていたんだい?」
「ビッグベンの中に」
「え!入れたの!?」
「おう。ところで訊きたいことがあるのだが、ビッグベンとはもしかして国会議事堂なのか?」
「え!知らなかったの!?」
「うむ。知っておれば入ろうなどとは思わななんだろうよ」
私は阿守の機知と私自身の無知とのおかげで、稀有な経験を得たのだった。
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2007年03月10日

32

ロンドンを離れる。
ロンドンという街は予想以上に物価が高く、そこに長期滞在するのに少なからぬ恐怖を覚えた一行は、予定より早くロンドンを離れることにしたのだった。
出来ればイギリスという国を出たかったのだが、ロンドン発の航空チケットを2週間後に設定してしまったので、2週間はイギリスを出られない。
とにかく首都を離れればそれなりに物価も落ち着くだろうと思い、スコットランドに向かうことにした。

一行はキングクロス駅から電車でスコットランドに向かう。
キングクロス駅といえばホグワーツ魔法学院行きの電車が出ていることで世界的に有名な駅になったが、マグルである私たちには関係のないことなので、一行は予定通りエディンバラ行きの電車に乗った。

電車に乗り、私は少し眠った。
しばらく後、肌寒い感覚と共に目を覚ました時、私はまだ夢を見ているのではないかと思った。
窓の外には深い霧が立ち込めており、窓ガラスはうっすらと曇っていた。
今は確か夏のはずで、ロンドンでは上半身裸の青年がウロウロしていたはずなのに、電車の中はなにやら冬の感覚だったのだ。
眠っていたせいで体温が下がり、感覚がおかしくなっているのだろうと思ったが、電車を降りるや認識の甘さを思い知らされた。
そこは明らかに冬の世界だったのだ。

肌に突き刺さるような乾いた風を身に受けながら、私はバカのように「寒い寒い」と繰り返し口にしていた。
私が用意していた上着といえば薄っぺらい甚平ぐらいだったので、防寒のしようがなかった。
他のメンバーはというと、カバンの中から用意していたそれなりに厚手の上着を取り出しで着込んでいた。
「貴様らっ!なぜそのようなものを用意しているのか!?」
「君ねぇ、僕らの予定にはツェルマットがあるんだよ?防寒具の一つや二つ、用意してしかるべきだろう?」
「しかし、今は夏ではないか!」
「夏でも富士山に登る人はそれなりに厚着だろう?ツェルマットの標高は富士山より高いんだからね」
「それなら一言ぐらい助言があってもよかろう!?俺なんぞ、上着どころか履物といえばサンダルのみで、靴はおろか靴下すら用意しとらんのだぞ!!」
「君のミスだね。あきらめなよ」
「貴様っ、俺に死ねというのか!?」
「まあ、それも仕方のないことだねぇ」
「よしわかった!しかし憶えていろよ。先に死ねば向こうでは俺が先輩だ。存分にこき使ってやるかなっ!!」
「はいはい」

結局、メンバーの1人が雨具代わりに持っていたウィンドブレーカーを借りることで私は寒さをしのぐことが出来たのだった。
その日は夜も遅かったので、ロンドンを発つ前に予約していたホステルへタクシーで向かった。
そのホステルは非常に広く、快適で、しかも結構安かったので、出来れば2〜3泊したかったが、そういう宿はやはり人気らしく、翌日以降は予約で一杯だった。
イギリスに来て以来、ようやくゆっくり眠れたような気がした。

翌日、ホステルを出る前に別のホステルに予約を入れ、快適なホステルを後にする。
次に着いたホステルは、ものすごく小汚いところだった。
例の如く雑居房で、同じ部屋にスペイン人が数人宿泊していた。
なんでもその内の1人が日本のバンドを知っているというのだ。
「え〜と・・・確か・・・ガッシェロ、ミン、ガロハンドとかなんとか」
「ミッシェル・ガン・エレファントと違うか?」
「そう!それだ!!君たち、知ってるのかい?」
「はっはっは。何を隠そう、僕たちこそがそのミッシェル・ガン・エレファントなのさ!!」
「・・・あ〜、はいはい」

阿守の下手なウソは簡単に見破られはしたが、なんとなく気があったのか、随分と会話が盛り上がり、結局夜を徹して飲み明かしたのだった。
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2007年03月17日

33

エディンバラ城や教会などをひとしきり堪能した後、私たちはエディンバラの中心街を離れ、少し郊外に出た。
海沿いの広場で、私たちは始めてストリート演奏をした。
いざ機材を広げてみると、やはり結構な量で、その割に音はショボかったが、そこは我慢した。
思っていた以上にいろんな人が足を止めてくれた。

その中に、地元の音楽家がいた。
2人組の男性で、1人はマンドリンを、1人はティンホイッスルという金属製のリコーダーのような楽器をもっており、我々の前で演奏してくれた。
まさしくケルト音楽そのもので、本場スコットランドで地元の音楽家による演奏を堪能できたのだから私たちは運がいい。
その後私たちは彼らに連れられて、行きつけのパブに案内された。
気持ちよく酒をのみ、彼らの妻子や友人も交えて会話も弾んだ。
その時、ホリィという名の女の赤ちゃんに出会った。
マンドリン弾きの娘なのだが、帰国後、彼女の名を冠した曲が出来上がったことで、今回の旅は充分に意義のあるものとなった。
帰り際、マスターが「See you again」と言ってくれた。
それを聞いた阿守は大いに感動し、マスターを硬い握手を交わして店を後にした。
「聞いたかい?あのマスター、僕らに『See you again』と言ってくれたよ!」
「また会おう、ということだろう?」
「君はニヒリストのクセに何にも知らないんだなぁ・・・。いいかい、スコットランドのパブにとって『See you again』とは特別な言葉なんだ。普通の客には『See you』とか『Bye』で済ますんだよ。で、本当に気に入った客にだけ『See you again』と言うんだ」
「それは光栄なことだ。しかし、どこで仕入れたんだ?そんな知識・・・」
「マスター・キートンだよ」
「なるほど」

スコットランド後にした私たちは、湖水地方を訪れた。
まさしく湖の多い地域のことで、せっかくだからと私はメンバーの1人と手漕ぎのボートを借りて湖に出た。
ところがその直後、大雨に降られ、転覆の危機に晒されながらも這々の態で岸にたどり着き、何とか命を長らえた。
その様子を、阿守は他のメンバーと共に山道を散歩しながら見ていたらしく、大いに笑われてしまった。

私たちは近くのアイリッシュパブで演奏することになった。
最初のうちはお客もおとなしく聴いていたが、酒が回ってくるとだんだん騒がしくなり、しまいには腹の出たおっさんが数人で
「リバーダンスじゃリバーダンスじゃ」
といいながら踊り始めたのには参った。
まあ、それはそれで面白かったが。

湖水地方はロンドンやエディンバラに比べて物価が少し安く、ホステルの宿泊費も安いわりに快適だったので、残りの数日をここで過ごしてイギリスを離れるのが得策ではないか、というところで話がまとまりかけた時
「リバプールに行きたい」
言い出す者が現れた。
ビートルズの大ファンなので、イギリスに来たからにはどうしてもリバプールには行きたいのだという。
「ここから移動するのならスノードンに行きたい」という阿守の意見は多数決の結果4対1で却下され、一行はリバプールに向かった。
posted by ニヒリストHILAO at 10:47| Comment(0) | エウロパ編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月24日

34

一行はリバプールに着いた。
メンバーのうち2人が、さっそく『キャバンクラブ』に向かった。
キャバンクラブとは、ビートルズを輩出したクラブで、ビートルズファンにとっては聖地のようなものだ。
その聖地に特攻をかける。
明後日の朝にはロンドンへ向けて出発しなければならない。
今晩か明晩出演させて欲しい、という無謀な出演交渉は、奇跡的な展開をみせる。
昼過ぎに帰ってきた2人曰く、夕方にはマネージャーが来るので、その辺りにもう一度来い、というものだった。
門前払いを覚悟していた一行に、光明が差した。

夕方まで少し時間があったので、一行は各々食事を取りに出かけた。
その時寄ったハンバーガーショップでのこと。
愛想のいい店員が、私たちに話しかけてきた。
「おや、観光かい?」
「はい」
「どこから来たんだい?」
「日本から来ました」
「へええ、そりゃ随分遠くからきたねぇ」
「どうも」
「え〜と・・・日本て、香港だっけ?」
この時、私は日本が世界的に見れば辺境だということを思い知らされた。

夕方、一行は揃ってキャバンクラブに向かった。
約束どおりマネージャーに会い、サンプルCDを渡す。
明後日の朝にはリバプールを離れるので、今日か明日、出させてもらえないか、と頼んでみた。
「ちょっと待っていなさい」
そう言って、マネージャーはCDをもって奥に消えていった。
40分ほどでマネージャーが再び私たちの前に現れた。
「じゃ、今夜出る?」
「え・・・?今夜ですか!?」
「そ、今夜。無理?」
「いえ、出ます!!」
と、驚くほどあっさり聖地を攻略してしまったのだった。

キャバンクラブには2つのステージがある。
1つはバースペースの奥にあるステージで、こちらはクラブに来た客なら無料でライヴを観覧できる。
もう1つは少し隔離された場所にある本格的なステージで、こちらは有料になる。
その日私たちが演奏したのは無料の方だった。
機材は結構ボロかったが、なんとか演奏を終えた私たちに、
「ギャラは払えないけど・・・」
といって酒をおごってくれた。
「じゃ、明日もやるかい?」
とマネージャーが言ってくれた。
私たちはもちろん快諾した。

さて、この日私たちが演奏したステージの奥の壁に、今まで演奏したバンドがバンド名や自分のサインなどを書いているのだが、どうやらビートルズファンにとって、その壁にサインするのは夢らしい。
ダメ元でサインの件をマネージャーに頼んでみると
「いいよ」
とあっさりOKしてくれたので、遠慮なくサインさせてもらった。
あのサインは今でも残っているのだろうか。
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2007年03月31日

35

翌日、再びキャバンクラブのステージに立つ。
「じゃ、今日はこっちでやってみようか」
というマネージャーの計らいで、前夜とは違い、有料の方のステージに立たせてもらった。
「ここには色んな人が立ったんだよ」
とスティングやポール・マッカートニーなど、誰もが知っているようなミュージシャンの名が挙げられた。
オノ・ヨーコの名を口にしたとき、マネージャーやスタッフから苦笑が漏れたのには少し笑ってしまった。

そのようなステージに立たせてもらえることや、2夜連続でキャバンクラブのステージに立てることに舞い上がってしまったのが、その日の私たちの演奏はあまりいいものでなかったような気がする。
お客さんの反応もあまりよくなかったが、それでも何とか盛り上げようと、マネージャーやスタッフが拍手や歓声をあげてくれたのは素直に嬉しかった。
遠く海を離れたイギリスにも、義理人情というものはあるらしい。

終演後、マネージャーがハイネケンを1ケース持って来てくれた。
「ギャラは出せないが、これは遠慮なく持っていってくれ」
私たちはありがたくいただき、早速ケースを開けて誰もいなくなったステージの上で、音響担当のスタッフと飲み始めた。

少し前、松崎しげる氏がテレビの企画でこのキャバンクラブに出たという情報を得ていたので、その事を訊ねてみると
「日本人?来たかなぁ・・・」
と、どうにも心当たりが無いようだったので、テレビのクルーと連れて来ていたはずだが、と伝えると
「ああ!あの黒いヤツか!!・・・そうか、あれは日本人だったんだなぁ」
どうやらシゲル・マツザキの色黒さは、外国人の目から見ても日本人離れしているらしかった。
そんなわけで、日本人も結構出ているのか、と訊ねると
「君らで5〜6組目じゃないかねぇ」
とのことだったので、どんなバンドが出ているのか訊くと
「みんなビートルズのカヴァーばっかりだよ。日本人でビートルズの曲を一曲も演奏しなかったのは、たぶん君らだけじゃないの」
とわれて、初めて私たちは自分達がビートルズの聖地でビートルズを全く演奏していないことに思い当たった。

夜も更けてきたので帰ろうとすると
「おいおい冗談だろ?まだ0時を少しまわったばかりだぜ?」
とスタッフに止められたが、この辺りは相当治安が悪いので出来るだけ早く帰りたかった。
そこで、翌日ロンドンへ向けてこの街を発たねばならず、準備とかもあるのでそろそろ帰りたい旨を伝えると
「しょうがない。じゃああと少しだけ付き合えよ」
と言われたので30分ほどで帰るつもりで再び飲み始めたのだが、結局話が盛り上がってしまい、店を出たのは2〜3時ぐらいになってしまった。


翌日、昼ごろにホステルを経った私たちは、夜になってロンドンに着いた。
監獄のような狭いホステルで一晩過ごした後、ヒースロー空港に行き、あらかじめ予約していた飛行機に搭乗した。
約2週間過ごしたロンドンを離れた私たちは、数時間後、スイスはチューリヒ空港に降り立っていた。

チューリヒで一泊した後、いよいよ私たちはモントルーへ向けて出発した。
そこでは世界最大規模の夏フェス『モントルー・ジャズフェスティバル』が開催されていた。
それこそが今回の旅の目玉であり、キャバンクラブでの飛び込み参加に気を良くしていた私たちは、上手くすればモントルーのステージにも立てるのではないかという希望的観測を打ち立てていた。
だが世界の壁は厚く高い。
自分達の認識の甘さを、私たちは思い知らされることになった。
posted by ニヒリストHILAO at 12:30| Comment(0) | エウロパ編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月07日

すんません!

今日は無理っす!
明日必ず…!
posted by ニヒリストHILAO at 23:59| Comment(0) | エウロパ編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月08日

36

さて、私はチューリヒからすぐにモントルーへ向かい、そのあとツェルマットに行ったと思っていたのだが、阿守からの指摘により、どうやら先にツェルマットに行っていたことを思い出した。
というわけで、先にツェルマットでの出来事を書いておきたい。

ツェルマットはマッターホルンの麓、標高約1600mに位置する観光地だ。
澄んだ空気を汚さないために、ガソリン車の乗り入れを禁じており、街には馬車や電気自動車が走っている。
無論ここに来るプランを立てたのは観光好きの阿守。
阿守は道すがらガイドブック仕込みの知識を披露しており、その説明を聞く限りではなかなか浮世離れした秘境のようなイメージを持っていたが、辿り着くやマクドナルドの看板が目に入ってきた時は、他の誰よりも阿守が落胆していた。
ホステルに向かう途中に見かけたいくつかのレストランでは日本語表記の看板を表に出しているところがいくつかあり、どうやらこの街は随分と文明に侵されているらしいことがよくわかった。

坂道をぜぇぜぇいいながら歩き、ホステルに着いたころには既に一行は疲労の極にあった。
だが窓から見えるマッターホルンの姿に、私を含め一同は疲れを忘れて見入った。
山麓で人間どもがいくら騒いだところで、かの名峰はいささかも痛痒を感じていないようだ。
その日は少し街を散策してそのまま眠りについた。

さて、このツェルマットのホステルでは、事前に申し出ておくと昼食をチーズフォンデュに代えてくれるというサービスがあった。
食堂に向かうと、どうやらチーズフォンデュを頼んでいたのは私たちだけのようで、一見VIP扱いでもされているかのような私たちに周りの視線が集中したが、払っている代金は君たちと1スイスフランたりとも変わらないのだよ。

そのチーズフォンデュだが、白ワインが大量に使用されていたらしく、アルコールに耐性のない私は、食事を終える頃にはしたたかに酔ってしまっていた。
部屋に帰って休もうかと思ったのだが
「僕はロープウェイでマッターホルンに登るつもりだが君たちはどうするんだい?」
と阿守が言い出し、他のメンバーもついていくらしかったので、私もいくことにした。

「今から一応3000m級の山に臨むんだから、もう少しマシな格好をしたらどうだい?」
甚平にサンダルという軽装の私をみかねてか、阿守はそう忠告したのだが、その日は中々の陽気であり、酔っていたせいもあって私はそのままの格好でロープウェイに乗った。

ロープウェイには私ほどではないにせよ軽装の人が多く
「ほれみろ、貴様らが厚着しすぎなのだ」
とほろ酔い加減でメンバーをののしっていたが、乗客の大半が最初のうちに降りてしまい、トロッケナーシュテック(標高2927m)を超え最後のクライン・マッターホルンに向かう辺りになると、重装のスキー客ばかりになってしまった。
さすがにその状況や実際の気温に私の酔いはすっかり醒めてしまった。

クライン・マッターホルン。
標高3818mという富士山頂よりも高い場所に、私は甚平にサンダルというあり得べからざる軽装で降り立った。
見渡す限りの雪景色。
雪に陽光が反射して、一瞬私は目を眩ませた。
雪が積もっているぐらいだから、気温は低いに決まっている。
その状況に少なからぬ恐怖をおぼえつつも、私は雪原に足を踏み出した。
足に雪がかからないよう、慎重に歩みを進めていたが、一歩踏み出すごとに私の恐怖は増していった。
そして、私の傍らを歩いていたメンバーの1人がバランスを崩して私にぶつかってしまい、その勢いで私は雪に足を突っ込んでしまった。
その瞬間、私はパニックに陥った。

・・・らしい。

というのも、私はあまりその時のことを憶えていない。
後日、阿守に聞かされて、そういえばそうだったような・・・、という程度の記憶しかないのだが、どうやら相当取り乱していたらしいのだ。
「いや、全く。醜態というのはまさにあのことだね。『凍傷になるがぁ!凍傷になるがぁ!お前!凍傷になったらどよんしてくれるんぞゴルァ!!』・・・まったく情けない。なんだって雄大なアルプスの山中でみっともない讃岐弁のわめき声を聞かなきゃならないんだい?あの程度のことで凍傷になるはずがないだろう?近くには売店もあったんだから、最悪お湯でももらえばいいじゃないなか。それをバカのひとつ覚えみたいに『凍傷になるがぁ!』の繰り返し。仮に凍傷になったとしてもだねぇ、足の指の1本や2本、無くなったところで鼻で笑えばいいだろう、ニヒリストなんだから。『凍傷になるがぁ!凍傷になるがぁ!』・・・ほんとに情けない。産声より先に冷笑を漏らしたとやらいうニヒリズムは一体どこへ消え失せたんだい?『凍傷になるがぁ!凍傷になるがぁ!!凍ォォォ傷ォォォになるがァァァ!!!』・・・・・・はぁ」
どうやら相当な醜態を晒したらしい。

さて、無事ツェルマットを後にした私たちは、いよいよモントルーに向かった。 
posted by ニヒリストHILAO at 15:55| Comment(0) | エウロパ編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月14日

37

モントルー。
レマン湖畔に広がるリゾート都市であり、毎年『モントルー・ジャズフェスティバル』という、世界最大規模の音楽フェスティバルが開催される。
期間は約1ヶ月。
その間、モントルーの街ではスイスフランに替わって『JAZZ』という通貨が流通する。
この期間、ここを訪れたものは、手持ちの金をJAZZに両替しなければフェスティバルを楽しめないというわけだ。

我々は無事モントルーに到着した。
到着はしたが、宿が取れなかった。
ツェルマットを出る前にも一応宿の確保を試みたが、元来ユースホステルというのは事前予約よりも当日の飛び込み客を優先する傾向にあるので、到着後、もう一度宿の確保を試みる。
3人部屋がひと部屋だけ空いているといわれたので、
「残りは荷物室でもいいからそっち行くよ。いいね!?」
と阿守がゴネたため、3人部屋にエクストラベッドを2つ用意してもらい、なんとか宿は確保出来た。
だが、そこは会場から歩いて約40分の距離にあり、私たちはその距離を何度も往復する破目になった。

フェスティバルの会場には、有料、無料合わせて十数か所のステージがある。
私たちは、野外のどこかのステージに飛び込みで参加できないものかと会場を訪れたが、会場に着くや自分達の考えの甘さを思い知らされた。
会場近くの通りの両側を、ほとんど隙間無くストリートミュージシャン達が埋めていた。
無料とはいえ正規のステージに立てない者が通りにひしめき合っており、それぞれが高い演奏力を誇っていた。
ステージを転々と見て廻ったが、その度にレベルの違いを見せ付けられているようであり、会場を一回りする頃には出演しようなどという気はほとんど萎えきってしまった。
それでも私とベーシストはなんとか出られないものかと出演者のもとを訪れてみた。
「私たちは日本で音楽家をやっているんですが、どうやったら出演出来ますかね?」
「ん?僕らはエージェントに任せていたからねぇ。あとで紹介するよ」
「エージェント・・・。つまり、あなた達はプロなんですよね?」
「もちろん。君たちもそうだろ?」
どうやらアマチュアはお呼びでないらしい。

ステージには立てなくともストリートなら!とベーシストは息巻いていたが、他のメンバーは既にやる気を失っていた。
そのベーシストがパンフレットになにやら行ってみたい有料のライヴを見つけたらしく、それを知った阿守は
「いいよいいよ、行っといでよ。せっかくここまで来たんだから、楽しまなくちゃ損だよ」
と、ベーシストを快く送り出した。
見送る阿守の顔に、人の悪い笑みが浮かび上がっていたが、ベーシストは背を向けていたので気付かなかった。

翌日。
「なあ、そろそろストリートを・・・」
「君、昨日のライヴは楽しめたかい」
「ん?ああ、楽しかったよ」
「それはよかったねぇ。よし!じゃあ、今日は僕も大いにフェスティバルを楽しむぞぉ」
「・・・・・・」

「どうも、阿守に一杯喰わされたような気がする」
ここに来て、どうやらベーシストは阿守の意図を察知したらしい。

来て、観て、為すこともなく立ち去る・・・。
私たちは、敗残兵のようにモントルーを後にした。
「大神オーディンも照覧あれ!いつかあの舞台に立ってみせるぞ・・・!いまはまだ駄目だ・・・力の差がありすぎる・・・。だが、何年か後には必ず・・・・・・!!」
モントルーを離れる列車の中で、レマン湖を臨みつつ阿守は独白した。


これをもって私たちのヨーロッパ演奏旅行は事実上終了した。
以後、のらりくらりと観光旅行が続くのだが、それはまた別の機会に発表するとして、エウロパ編はこれにて終了させていただく。
posted by ニヒリストHILAO at 13:47| Comment(0) | エウロパ編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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